2011年3月29日火曜日

宗教が作成されたプロセスに関する知識

信仰は100%であるよりも半信半疑であるほうがよい。信仰が100%に近づけば近づくほど、その信仰がもたらす弊害は増大する。

自分の宗教を自分で作ることは、信仰を半信半疑に留めておく上で有効である。すなわち、他人が作った宗教は100%の信仰に陥る危険性が高く、自分で作った宗教はその危険性が低い。その理由は、宗教を自分で作った人は、その宗教が作成されたプロセスに関する知識を持っているからである。プロセスを知っている人は、それが人工的に作られたものであるということを常に意識せざるを得ない。その意識が、100%の信仰に陥る危険性を低下させるのである。

他人が作った宗教を信仰する場合も、100%の信仰に陥る危険性から身を守りたいならば、可能な限り、その宗教が作成されたプロセスに関する知識を持つほうがよい。

2011年3月23日水曜日

日本人的な宗教観

日本人に対して「あなたの宗教は何ですか」と質問すると、その大多数が「無宗教」と答えるそうである。しかし、日本人の多くは、正月には初詣に出かけ、葬式では故人に合掌し、クリスマスが来るとイエスの誕生を祝う。

多くの日本人は、宗教を、ファンタジーの一種として認識しているのではないだろうか。すなわち、宗教を信仰しているという自覚はないものの、それを無価値なものとして切り捨てるのではなく、生活を精神的に豊かにしてくれるものとして尊重しているのであろうと思われる。

宗教に対して一定の距離を置く多くの日本人の姿勢は、きわめて好ましいものである。なぜなら、宗教を信仰すること、すなわち宗教をファンタジーではなく真実だと考えることは、さまざまな弊害を生むからである。これからの時代は、宗教をファンタジーとみなす日本人的な宗教観がグローバルスタンダードとなることが望ましい。

2011年3月22日火曜日

聖アンデレ十字

興味深いものを久留米で見た。

久留米城跡に鎮座する篠山神社に、小早川神社という末社がある。地面からの高さが百数十センチほどの石の祠である。祭神は毛利秀包(1567-1601)。彼は、シマオ(Simao)という洗礼名を持つキリシタンだった。

小早川神社の興味深い点は、「聖アンデレ十字」(Saint Andrew's Cross)と呼ばれるX字形の十字架がその扉に刻まれていることである。聖アンデレ十字は、禁教時代に造られたキリシタンの墓に、被葬者がキリシタンであることを隠すためにラテン十字の代わりとしてしばしば刻まれた十字架である。

小早川神社の創健者はキリシタンだったのか否か。もしもキリシタンだったとすれば神社を創建した理由が謎であり、キリシタンではなかったとすれば十字架を扉に刻んだ理由が謎である。

2011年3月16日水曜日

バナナはデザート教とバナナはおやつ教

ばななはでざあときょう【バナナはデザート教】「バナナはおやつではなくデザートとして食べなければならない」という戒律を持つ宗教。banana-is-dessertism(英)。

ばななはおやつきょう【バナナはおやつ教】「バナナはデザートではなくおやつとして食べなければならない」という戒律を持つ宗教。banana-is-snacktism(英)。