2011年8月4日木曜日

不寛容の原因は信仰である

「一神教は不寛容で多神教は寛容だ」と思っている日本人が多いようだが、それは間違っている。一神教か多神教かという差異は、不寛容か寛容かという差異には影響を及ぼさない。不寛容か寛容かという差異を生んでいるのは、信仰を持つか持たないかという差異である。信仰を持つ者は、その信仰が強ければ強いほど、自分の信仰とは異なる価値観を容認することができなくなるのである。

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